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情報倫理

情報倫理と聞くと、人は一般にどのような印象を持つでしょうか。「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」といった規則を集めた禁止事項を想像する人が多いかも知れません。或は学者同士が行なっている机上の議論に過ぎなず、自分には何の関係もないものだと考える人もいるかも分かりません。それとも、中学や高校で勉強した道徳や倫理の授業と重ね合わせて、情報と倫理がどうやって結びつくのか疑問に思う人もいるでしょう。

 情報倫理(information ethics)とは、人間が情報を用いた社会形成に必要とされる一般的な行動の規範です。そして、倫理とは、一般的に言っていわゆる「道徳規範」のことです。ちなみに広辞苑によれば、道徳とは《人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理》であるとされています。また、個人が情報を扱う上で必要とされるものは一般の社会道徳であり、社会という共同体の中では、道徳が結合した倫理が形成されます。従って現在の情報化社会における情報倫理とは、道徳の下に結合された倫理が行動の規範の中核とされ、情報を扱う上での行動が社会全体に対して悪影響を及ぼさないようによりよ社会を形成しようとする考え方であると言えます。従って、「倫理」という名が付いていることから分かるように、情報倫理もこの定義を応用したもので、従ってある種の規範であるということになります。具体的には、情報化社会における規範を考える倫理であり学問であるということになります。ただし、「ある社会で」という点に注意が必要です。つまり、時代や前提とする条件によって倫理は変わりうるということです。過去において、たとえばギリシア・ローマ時代の倫理学者が述べてきたことは、確かに現代に通じる面ももあるかも分かりませんが、それがそのまま現在も妥当性を保ち続けているとは限りません。情報倫理もそれと同じで、「情報」という言葉に含意される事柄が時代と共に変化すれば、倫理上検討すべきであると認識される状況やその解答も変化するのです。以上をまとめると、情報倫理は「情報化が進展している社会において、その情報化の進展に即しながら、社会的規範について考える学問である」と言うことができます。なお、ある行為の社会的規範と言っても実際には余り難しいことではなく、コンピューターでキーを押して何かを入力する、クリックするといった程度のことでしかありません。従って、我々が日々何気なく行なっている日常的なコンピューターの利用がどのような意味を持っているのかということについて改めて考え直すといった程度に考えて構いません。

 情報倫理を統制する仕組みは、まずは法律を用いることが一般的だと言ってよいでしょう。法律は、道徳に反する行動が発生した時に、倫理の質を高める手段として規制を法律に求めることで、倫理の最低限度で運用される性質があります。インターネットを情報手段とする社会では、人との付き合いで必要なマナーやモラルを求める傾向も強く、情報モラルや情報マナーと言った情報社会での習俗が日常化しています。道徳及び法律並びに風俗はそれぞれ性質は異なったものではありますが、それら道徳が結合し共同体として倫理が形成されるので、そこで基本的に倫理と法は独立し、習俗は倫理をスムーズに運用し維持するための形式的な手段であるということになります。このように道徳と法律、習俗はそれぞれ独立しているわけですが、それらが結合し、より善い社会形成を維持する手段として、情報倫理が存在するのです。
 なお、情報倫理の重要な特徴の一つはその技術的な側面です。たとえばコンピューター教室において利用者が電子メールを受信したとすると、そのメールの内容は、情報としてはその教室の他のコンピューターにも届く可能性があります。それが問題がないとされているのは、単にメールが破棄されているからに過ぎず、従って、その気になれば盗聴される可能性もあるのです(このようなネットワークの技術的な特徴は、通信の秘密という憲法にも明記されている重要な規範に関する再検討が必要であることを意味しています)。ここで重要なのは、そもそもその倫理的状況の理解に技術的な理解が必要であるという点です。前述のように、情報倫理は情報化社会の進展に合わせて変化する可能性のあるもので、技術的な要件が変化すれば、その要件に合わせて行動規範も変化する可能性があり、そこで情報技術に関する原理的な理解が不可欠です。しかも、厄介なことに情報技術の進展は非常に速いのです。

情報倫理と混同されやすいものがガイドラインネチケット、マナーといったものです。これらと情報倫理の違いは一体どのようなところにあるでしょうか。たとえば1990年代では、「電子メールは50KB未満とし、これを超える場合は分割しなければならない」ということがよく言われていましたが、これは特に当時の環境で受け取る側がイライラせず受け取ることができる最大のメール容量かも知れません。この場合これはマナーと言えるでしょう。またはメールの受信者に関する何かしらの(主として通信設備やサーバー等の)事情を前提にしている場合は一種のガイドラインであるとも言えます。しかし、これは情報倫理であるかということには多少疑問が残ります。コンピューターやネットワーク資源を過度に利用することは慎むべきですが、倫理といった場合、それは一律に決まるものではなく、状況に応じて個々人が合理的に価値判断して決めなければならないものだからです。もちろんこれはネチケットやマナー、ガイドライン、ルールと言われるものを軽視してもよいということではありません。しかし、情報倫理とは単なるルール集ではなく、自己の中にそのルールを形成するプロセスであり、このような自己責任による自己決定こそが情報倫理とガイドラインの大きな違いなのです(なお、たとえば自己責任による自己決定の結果、海賊版ソフトウェアをネット上で販売することになっては困りますから、その自己決定が社会的に見て望ましい価値を持っているべきでもあることは論を俟ちません)。

 情報倫理について理解するためには、技術的な背景の原理的な理解が不可欠であることは前述の通りです。知らなかったでは済まないのがこの社会の基本であるため、自覚のあるなしに関わらず、無知であることは社会との摩擦を生じかねないということになります。或は単に知らなかったが故に犯罪の加害者や被害者になってしまうことすらありえるわけです。逆に言えば、このような自己決定に基づく自己責任の原則が成立するには、社会的に見て一定水準の教育が確保されている必要があるとも言えます。また、変化する社会状況に対応するため、情報収集とスキルの習得が適時適切に行なわれる必要もあるでしょう。簡単に言えば、コンピューターやネットワークを利用し続ける限り、その技術的な背景とそれが含意するものについて勉強を続けなければならないということでもあります。なお、以下で説明する注意点は、このような考え方を前提にして、理解しておくべき基本的な技術的原理と共に、コンピューターやネットワークを利用する上で注意すべきいくつかの項目を提示します。それらのうち幾つかはガイドラインであり、その幾つかはマナーやモラルの範疇に入り、また幾つかは読者の倫理的な判断を必要とするものがあるかも知れません。なお、これらの項目については、既に述べたように執筆時点で言えることばかりであって、将来においても正しいとは保証されていないことに注意が必要です。何れにせよ、情報化社会に自主的に自らの合理性をもって向かってゆくことこそが情報倫理において重要なのであり、それは誰かが押し付けるものではなく、仮に押しつけられたところで実際の活動に結びつかないでしょうから、そこには何の意味もないのです。

情報倫理と混同されやすいものがガイドラインネチケット、マナーといったものです。これらと情報倫理の違いは一体どのようなところにあるでしょうか。たとえば1990年代では、「電子メールは50KB未満とし、これを超える場合は分割しなければならない」ということがよく言われていましたが、これは特に当時の環境で受け取る側がイライラせず受け取ることができる最大のメール容量かも知れません。この場合これはマナーと言えるでしょう。またはメールの受信者に関する何かしらの(主として通信設備やサーバー等の)事情を前提にしている場合は一種のガイドラインであるとも言えます。しかし、これは情報倫理であるかということには多少疑問が残ります。コンピューターやネットワーク資源を過度に利用することは慎むべきですが、倫理といった場合、それは一律に決まるものではなく、状況に応じて個々人が合理的に価値判断して決めなければならないものだからです。もちろんこれはネチケットやマナー、ガイドライン、ルールと言われるものを軽視してもよいということではありません。しかし、情報倫理とは単なるルール集ではなく、自己の中にそのルールを形成するプロセスであり、このような自己責任による自己決定こそが情報倫理とガイドラインの大きな違いなのです(なお、たとえば自己責任による自己決定の結果、海賊版ソフトウェアをネット上で販売することになっては困りますから、その自己決定が社会的に見て望ましい価値を持っているべきでもあることは論を俟ちません)。

 情報倫理について理解するためには、技術的な背景の原理的な理解が不可欠であることは前述の通りです。知らなかったでは済まないのがこの社会の基本であるため、自覚のあるなしに関わらず、無知であることは社会との摩擦を生じかねないということになります。或は単に知らなかったが故に犯罪の加害者や被害者になってしまうことすらありえるわけです。逆に言えば、このような自己決定に基づく自己責任の原則が成立するには、社会的に見て一定水準の教育が確保されている必要があるとも言えます。また、変化する社会状況に対応するため、情報収集とスキルの習得が適時適切に行なわれる必要もあるでしょう。簡単に言えば、コンピューターやネットワークを利用し続ける限り、その技術的な背景とそれが含意するものについて勉強を続けなければならないということでもあります。なお、以下で説明する注意点は、このような考え方を前提にして、理解しておくべき基本的な技術的原理と共に、コンピューターやネットワークを利用する上で注意すべきいくつかの項目を提示します。それらのうち幾つかはガイドラインであり、その幾つかはマナーやモラルの範疇に入り、また幾つかは読者の倫理的な判断を必要とするものがあるかも知れません。なお、これらの項目については、既に述べたように執筆時点で言えることばかりであって、将来においても正しいとは保証されていないことに注意が必要です。何れにせよ、情報化社会に自主的に自らの合理性をもって向かってゆくことこそが情報倫理において重要なのであり、それは誰かが押し付けるものではなく、仮に押しつけられたところで実際の活動に結びつかないでしょうから、そこには何の意味もないのです。

ワンポイントアドバイス 情報倫理と情報リテラシー 引用